2014年05月01日

ご来場頂いた方も、初めての方も必読!市川真人×阿部和重トークショー再録


去る2月21日に開催されたトークショーを書き起こし・再録します。どうぞお楽しみください!

後藤明生・電子書籍コレクション刊行記念連続トークショー
アミダクジ式ゴトウメイセイ文学談義VOL.1
2014年2月21日(金)@マルノウチリーディングスタイル
市川真人×阿部和重

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▼出演者プロフィール
▽市川真人(いちかわまこと)
文芸評論家、「早稲田文学」編集主幹、早稲田大学文学学術院准教授。1971年、東京生まれ。著書に『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』。前田塁のペンネームで『小説の設計図』、『紙の本が亡びるとき?』がある。また、TBSテレビ「王様のブランチ」にブック・コメンテーターとして出演。

▽阿部和重(あべかずしげ)
小説家。1968年、山形県生まれ。94年、「アメリカの夜」で第37回群像新人文学賞を受賞しデビュー。その後、『無情の世界』で第21回野間文芸新人賞、『シンセミア』で第15回伊藤整文学賞・第58回毎日出版文化賞をダブル受賞、『グランド・フィナーレ』で第132回芥川龍之介賞、『ピストルズ』で第46回谷崎潤一郎賞を受賞。近作に『Deluxe Edition』がある。
http://abekazushige.cork.mu
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■簡単に賞をくれそうな選考委員には用はない

−−本日は「アミダクジ式ゴトウメイセイ文学談義VOL.1」にご来場いただき誠にありがとうございます。「アーリーバード・ブックス」は、後藤明生の長女であり著作権継承者である松崎元子が主宰する電子書籍レーベルです。後藤明生の著作は、現在、そのほとんどが絶版となっており、古書価も高騰しています。電子書籍によって、より多くの新たな読者に、気軽に読んでもらえれば、というのが私たちの願いです。ただし、バーチャルな書籍なので、なかなか読者の方々と触れ合う機会がない。そのため、このような連続トークショーを企画いたしました。ホストをお願いいたしましたのは、文芸評論家の市川真人さんです。TBSテレビ「王様のブランチ」のブック・コメンテーターとしてもおなじみですが、生前、後藤明生が学部長をしていた近畿大学文芸学部の大学院で、直接、教えを受けられました。ゲストには毎回、後藤明生に馴染みの小説家や評論家の方々をお招きする予定ですが、第1回にご登場いただきますのは、小説家の阿部和重さんです。阿部さんは『アメリカの夜』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビューされましたが、そのときの選考委員のひとりが後藤明生でした。では早速ですが、市川さん、阿部さん、よろしくお願いいたします。

市川:阿部さんが後藤さんに初めて会われたのは、20年くらい前ですか?

阿部:群像新人文学賞でデビューしたのが1994年なので、ちょうど20年前ですね。僕がそもそも群像新人文学賞に応募したのは、後藤明生さんと柄谷行人さんが選考委員だったというのが大きな動機でした。

市川:やはり、そのお2人だったんですね。

阿部:もちろん、田久保英夫さんや李恢成さんもいらっしゃいましたが、僕にとっては後藤さんと柄谷さんがとりわけ大きな存在でした。もともと僕は専門学校で映画の勉強をしていて、それから映画評論も読むようになり、蓮實重彦さんの著作に出会った。そして、蓮實さんが高く評価している作家のひとりだった後藤さんの作品を読むようになったわけです。その後、小説を書くようになったのですが、文学に関しては門外漢だという意識が強かったので、小説を書いて文学の世界で認めてもらうためには、非常に高いハードルを乗り越えなくてはいけない、と思ったんです。

市川:つまり「簡単に賞をくれそうな選考委員には用はない」と(笑)。

阿部:そういうことですね(笑)。

市川:群像新人文学賞に投稿される前に、他の文学賞に応募されたことは?

阿部:ないです。映画のシナリオコンクールに応募したことはありますが、小説は群像新人文学賞のみでした。後藤さん、柄谷さんに対するリスペクトとともに、特にこの賞は、文学新人賞の中でも選考委員が厳しい、というイメージがありました。事実、僕が受賞する前も、2年ほど受賞者ナシが続いていた。僕以前は、1992年に多和田葉子さんが『かかとを失くして』で受賞されていますが、多和田さんは選考委員にも絶賛され、デビュー後も皆さんご存じの通り、たいへん活躍されている。逆に言うと、多和田さんは例外的な方ではありますが、それほどの力量がないと受賞できない、というイメージだったわけです。だから、これを受賞できれば、映画という異ジャンルから来た人間でも「小説を書き続けてもいい」と認めてもらえたと思えるんじゃないか、と。それで、群像に応募したわけです。

市川:それがデビュー作『アメリカの夜』ですね。

阿部:後藤さんや柄谷さんにも、非常にありがたい選評を書いていただきました。

市川:授賞式で初めて後藤さんや柄谷さんに会われたかと思いますが、そのときの印象はいかがでした?

阿部:群像新人文学賞の授賞式は、他の文学新人賞とは少し違っていて、歴代の受賞者や選考委員が集まるんです。そこでいろいろな作家の方に初めてお会いして、「文学の世界に入ったんだなあ」という実感がありました。で、授賞式では選考委員による講評のスピーチがあって、それをしてくださったのが後藤さんでした。そのとき印象で残っているのは、ものすごい猫背でお話しになる後藤さんの姿でした。とても気のいいオジサンというか、1950〜60年代の日本映画に出演している味のある名傍役みたいな人だと思いました。

市川:わかります(笑)。あとは、「ごはんですよ」のコマーシャルに出ている人みたいな(笑)。

阿部:そう、そう。本当にそういう感じの見た目でした。講評のほうでは、その前年、受賞作は出なかったんですが優秀作は出ていて、その受賞者の若い女性が、とても派手な服装で授賞式に出席されたそうなんですね。で、翌年の受賞者は、小説部門が僕で、評論部門が池田雄一くんと紺野馨さんでしたが、3人ともスーツを着ていた。後藤さんは「去年の受賞者は非常に派手だったけれど、今年はみんなサラリーマンみたいなスーツでつまらない」というようなことをスピーチで話されました(笑)。

市川:「そこですか! 後藤さん」みたいな(笑)。

阿部:小説では「小市民的なリアリティ」をお書きになられている後藤さんが、スーツばかりでつまらんとおっしゃられるとは予想していなかったので、軽くショックを受けました。その後、懇親会で文壇バーというところに初めて連れて行っていただいたのですが……。

市川:それは新宿の「風花」ですか?

阿部:「風花」に行く前の店ですね。「風花」は最後に行く店で、終着駅みたいなところ。市川さんは、よくご存知だと思いますが(笑)。

市川:いやいや(笑)。「風花」は、後藤さんが最長滞在記録保持者だと聞いているので、そこかなと。

阿部:だからお体もねぇ……。その「風花」に行く前に、講談社の行きつけの文壇バーに行ったのですが、実はあんまりお話しできなかったんですよ。というのも、すでに後藤さんは酔っぱらわれていて(笑)。でもそこで、「お前、これは『地下室の手記』なんだろ?」と言われて、僕は「おっしゃる通りでございます」と。

市川:そのとき、阿部さん自身もそう思われていました?

阿部:たしかに『アメリカの夜』を書く上で参考にした小説のひとつだったので、それは間違いありませんでした。僕としては、そのことをご指摘いただいただけでも非常に感激しました。

市川:で、途中から後藤さんは寝ちゃいました?

阿部:とにかく後藤さんと柄谷さんが酔っぱらいながら何かを話されていて、後藤さんはとても気のいい感じでしたが、柄谷さんが怖かったというか、ずっと何かを唸っていた(笑)。そうやって夜が過ぎていきましたね。
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■後藤明生と阿部和重をめぐる2人の批評家

市川:柄谷行人もデビュー当時の阿部和重を非常に賞賛していましたが、柄谷さんと何を話したか記憶はありますか?

阿部:柄谷さんに「お前は映画を撮るのか?」と訊かれたんですよ。で、「撮りたいとは思っていますが……」と答えたら、「いや、撮ったほうがいい」って言われたんです。なぜそうおっしゃったのか、そのときはよくわからなかったものの、その後の柄谷さんの言動を踏まえると、「文学なんてもう終わっているから、映画のほうにさっさと行け」ということだったと思います。

市川:柄谷さんが「近代文学の終り」について話すようになったのが、おそらく世紀が変わる頃、ちょうど後藤さんの最晩年でもあった時代ですが、いまのお話を伺うと、それより数年前、阿部さんがデビューされた頃すでに柄谷さんはすでにそのようなことを考えはじめていたのかもしれないですね。

阿部:後藤さんが亡くなられた1999年以降、柄谷さんはNAM(New Associationist Movement)という社会運動を始めていますが、たしかにその時期から、柄谷さんは「近代文学の終わり」ということを考えはじめていたのかもしれませんね。

市川:それにしても、当時、柄谷さんが映画の話をするのは珍しかったのでは?

阿部:いや、そんなことないですよ。以前、東浩紀と池田雄一と僕の3人で柄谷さんの家に押しかけたことがあって……。

市川:当時、20代半ばの3人が(笑)。

阿部:そういうクリスマスの夜があったんですよ。95年くらいですか。なんかクリスマスの夜に男3人って、いかにも現代日本文学の物悲しさを感じます(笑)。

市川:しかも先輩批評家の家に(笑)。

阿部:男3人が集まって「これからどうしようか?」「じゃあ柄谷さんの家に行ってみよう」ということになって、たしか東浩紀が電話したんです。そうしたら「じゃあ来ていいよ」って柄谷さんが言ってくれて、けっこうちゃんと僕らをもてなしてくださった。で、部屋に案内されたら、映画のビデオがずらっと並んでいたんですよ。「なんだ、映画、けっこう好きなんじゃないですか」って言ったら、「僕ね『ダイハード』とか好きなんだよ」って。

市川:え、それハリウッド映画じゃないですか。なんか弟子としては、「柄谷さん、それでいいのか!?」と(笑)。

阿部:すみません、余談でした(笑)。

市川:そういえば、柄谷さんも蓮實さんも、どちらも阿部和重を高く評価していますよね。そのような小説家は決して多くない。そして思えば後藤明生も、その2人がほぼリアルタイムに評価した数少ない同世代の小説家ですよね。後藤さん以外では古井由吉さんくらい。

阿部:そうですね。それは、1970〜80年代、蓮實さんや柄谷さんの批評的な仕事と、後藤さんの小説をはじめとする文学的な仕事が、非常に重なるところがあったからだと思います。特に後藤さんは、批評的にオイシイ要素がたくさん転がっている小説が多い。いま読んでも、充分に文芸評論家を刺激する作品だと僕は思うのですが……。えーっと、そろそろ後藤さんの作品の話に入らなくていいの?

■『挟み撃ち』は真の幻想小説である

市川:では、そろそろ後藤さんの話に。阿部さんが先ほど言われたように、批評的にもオイシイというか、論じ甲斐のある後藤明生という作家ですが、読者としての阿部和重から見たときに、小説というものを考える対象、あるいは興味の対象だったわけですよね?

阿部:デビュー作の『アメリカの夜』は、当然、後藤さんの小説を読まなければ書けなかった小説です。前提としては蓮實さん、柄谷さんの評論があって、小説作品では後藤さんの『挟み撃ち』や『吉野大夫』、あと大西巨人さんの『神聖喜劇』、これらの影響がはっきりとあります。じゃあ、具体的にどの部分かというと、まず『挟み撃ち』と『神聖喜劇』はぜんぜん違う小説だと思われがちですが、僕は共通しているところがけっこうあると思っています。そのひとつは「引用」。つまり、テクストの外部にある先行作品に対する言及が多い。いわゆるインターテクスチュアリティ(間テクスト性)ですね。それを強く意識した作品になっている。それと同時に、「ユーモア」が作品の非常に大きな要素になっている。

市川:後藤さんはたしかにそうですが、大西さんも?

阿部:これはあまり指摘されていないのではないかと思いますが、『神聖喜劇』の〈合法闘争〉って「ユーモア」の戦略なんですね(註:合法闘争=主人公の東堂太郎二等兵が、軍規を盾にして合法的に軍隊内の不条理と対峙する闘争)。否定ではなく肯定から入る論理。既存のテクスト=小説を−−『神聖喜劇』の物語上では、軍規がそのテクストに当たるわけですが−−、否定ではなくあえて肯定の態度をとって受け入れつつ読み解いていくことから制度的限界を超えるという方法。この場合の肯定は、異なる二者に認められる同一性の指摘としてあらわれるところもあるわけですが、それはすなわち、なんらかの類型の強調へと行き着く。この、類型をひたすら際立たせる行為に宿る剰余を「ユーモア」と呼ぶのだとすれば、合法闘争や間テクスト的読解の徹底は、その見事な戦略的実践ではないかというわけです。このふたつ、「引用」と「ユーモア」は、後藤さんと大西さんに共通しているのではないでしょうか。

市川:たしかに、後藤さんの小説も〈合法闘争〉的なところがありますね。

阿部:さらに具体的に言うと、後藤さんの小説は、目の前にあるどのような事物も自明のもとして扱わないところが基本的にあって、僕は『アメリカの夜』を書くにあたって、そこにいちばん影響を受けました。「机」と書けば、それを知らない人は誰もいない。しかし、「この机は、はたしてあの机なのだろうか?」という懐疑が絶えず入る。そこから思考の進展があって、やがてそれが推理に至って、記憶の連環をともないながら妄想に発展していく、という流れで『挟み撃ち』などはできている。この構造だけいえば、『アメリカの夜』もまったく同じようにできているわけですね。また、「論理が物語化していく」という意味では、『神聖喜劇』も似た部分があると思っています。

市川:なるほど。

阿部:ただし、単に「論理の追求」だけだったら数学の数式で事足りるわけで、そうではないところが文学です。じゃあ、数学の数式と何が違うかというと、文学は「言語」でできている。言語というのは不純なものなので、解釈の可能性の幅がある。

市川:誤読の余地もある。

阿部:その通りです。そこから何が起きるかというと、思考の脱線が生まれるわけです。その思考の脱線に小説の可能性を見たのが、後藤明生である、と。まず言葉そのものに解釈の幅がある。こっちにも行けるし、あっちにも行ける。そのため話が逸れていく。それが何をきっかけに逸れていくかというと、自分の記憶です。言語は記憶につながっていて、それが先行するテクストにもつながっていく。

市川:何か言葉を口にしてしまったことが、自分のいまここではない何かを呼び起こしてしまった結果、意識自体がそちらへと向かって行く――。今回の連続トークショーのタイトルにもなっていますが、後藤さんがしばしば言っていた「アミダクジ」というのが、そういう思考のことですよね。

阿部:そうですね。当時、僕は蓮實さんの著作で後藤さんの小説を知ったのですが、そこで蓮實さんは「これは真の幻想小説である」と指摘されています。その頃、まだ文学の素人だった僕は、衝撃を受けました。当時、僕は、幻想小説に対して通り一遍なイメージ−−幻想小説とは要するに作家が自身の想像力を伸び伸びと働かせて、あくまでも現実から遊離したイメージを主体に物語を組み立てていく素朴な様式ではないかと−−、そのような偏見とういか、先入観を持っていました。しかし、いわゆる幻想小説にありがちな幻想は、後藤さんの小説には出てこないものの、蓮實さんの本を読んで、「なるほど、真の幻想小説とは、こういうことかもしれない」と思いました。

■安部公房から後藤明生への文学史的な変遷

阿部:そこで、幻想小説としても読める後藤明生の作品は、日本文学の何を更新したのか? 僕は学生の頃、安部公房の作品をよく読んでいたのですが、たとえば安部公房の『燃えつきた地図』と後藤明生の『挟み撃ち』を並べてみると、文学史的な変遷、文学の更新というものが具体的にはっきりと見て取れるのではないか、と。『燃えつきた地図』は探偵小説ですが、主人公の探偵が大都会で人探しをしているうちに、自分の居場所がわからなくなっていって、目的も見えなくなり、主人公の実存もあやふやに、不安定になる−−そのような小説です。この作品の限界というのは、物語上では確かに主人公はいろいろと見失ってしまうけれど、実は作者自身は何も見失うことはなく、作品の「地図」も最後まで燃えつきることはなく、予定通りに終わるんですね。その意味で、物語は終始安定している。

市川:つまり、幻想自体が、ある特定のフィクションの枠組みの中に上手に収まってしまう?

阿部:そうですね。たとえば『挟み撃ち』のような、外部に存在するものが入り込む余地はいっさいない。つまり、安部公房という作者の想像力だけで−−それだけ、というのはありえないのですが、一応は想像力だけで組み立てられた、作者の想像力の中だけで成立している物語になっている。それは同時に、作者である安部公房があらかじめ用意した「実存の不安定な状態」が最終的に浮き彫りになる。小説の結末がそこに行き着くことは、あらかじめ決まっているわけです。

市川:予定調和といえば予定調和な作品ですね。

阿部:多くの小説が、そして現在、書かれているほとんどの小説が、その予定調和で作られている。それを乗り越えることは不可能に近いのですが、ただ、それを乗り越えようという試みを最初から断念してはならない、まずはそれを目指してみるべきだろう、と考えて書かれたのが後藤さんの作品群ではないかと思います。

市川:その通りですね。

阿部:では、それには何が必要か? 安部公房がやらずに、後藤明生がやろうとしたことは何か? それは、先ほどからお話ししているような、ある種の論理の追求と、「何年何月何日に何があった」という史実−−それは作者の想像力の外にある記号ですね−−、それと先行するテクストを小説に持ち込んだ。後藤明生の場合、それはゴーゴリの作品だった。

市川:『挟み撃ち』の中では、ゴーゴリの『外套』が素材として用いられています。

阿部:先行する作品の登場人物が体験するのと同じようなことを、自分の作品の語り手にも体験させてみる。そのようなことを試みることで、何が明らかになるか? 多くのフィクションは、作者が考えている物語上の都合、いわゆる起承転結と呼ばれる物語が成立するためのリアリティを作者は提供しているのですが、後藤さんが書かれたようなメタフィクションの形式性は、作者が用意した「物語が成立する条件」そのものも読者の目に見えるように書いていく。たとえば、『挟み撃ち』では、語り手はお茶の水駅の前にいるが、なぜお茶の水駅の前にいるのか、なぜその記号を作者はそこに置いたのかということも、責任を持って説明していく。それは作者の倫理観だと僕は思っているのですが、それも含めて物語っていく。そして、ある論理を展開させていく。そのようにして論理を展開させていくうちに最終的にどこに行き着くかというと、「やはり、この物語空間の外に出ることは不可能であった」ということが明らかになるわけです。しかしそれは、最初から「不可能である」と言うのではなく、論理をつきつめていくことによって初めて見える不可能性であるわけです。

市川:いまのお話を聞いて、あらためて納得したのは、先ほど阿部さんが指摘された「言語」の問題です。言うまでもなく「言葉」はかなり誤読の可能性がある。にもかかわらず使う側や読む側聞く側は、ふとするとそれを自明なもののように、手段としてのみ考えてしまうことがあるわけです。それに対して後藤明生が持っている倫理観、いろいろな前提条件をも説明し、そこから拡張されるものも説明するという手の広げ方は、「それを書いている言葉自体も絶対に不安定で、不確かなものである」という確信とも不可分ですよね。どれだけつきつめていっても、結局その不安定さとともにしか私たちは語れない。「結局、物語空間の外に出ることは不可能だった」というのは、「言葉の外に出られなかった」という断念とともに、もう一方で「言葉は常に外にあるものであり、自由である」という両義性でもあるわけで、それを後藤明生は持っていましたよね。

阿部:そうですね。両義性ということとも関係してくるかと思うのですが、たとえば『挟み撃ち』は、結局、1日の中での出来事ですよね。まず主人公は、お茶の水の駅前に立っていて、20年前に着ていた外套を探して記憶をたどっていく。その途中で、20年前の視点と、現在の語り手の視点が重なったりする。非常に明晰に物語は進んでいくので、その点では言葉の意味を読み解いていく困難さはないのですが、現在と20年前が重なったりするので、読者は混乱することがある。

市川:読む側にとっては、それが現在の話なのか、20年前の話なのか、同じ「言葉」で書かれているからわかりようがないですものね。

■「記憶」と「妄想」は違うものなのか?

市川:いま阿部さんのお話を伺っていて思い出すのは、「記憶と妄想の区別は、どれくらいあるんですか?」と後藤さんに訊かれた記憶です。「記憶は実際にあったこととして認識して脳に書き付けていることだけど、それは正しい認識ではないかもしれない。違うふうに認識しているかもしれないじゃないか。だったらそれは、記憶じゃなくて妄想だよね。でも、そのふたつは等価でしょ」というような話をしてもらったことがある――もちろんそれ自体、ぼくの妄想かもしれないわけですが。先ほど阿部さんがおっしゃっていた現在と20年前の重なり方も、まさにそこのことですよね。

阿部:そうかもしれませんね。

市川:記憶と妄想、あるいは「現在のこと」と「現在、想起していること」は、実は見分けがつかない。そうである以上、それを読んでいるあなたたちに見分けがつくことのほうがおかしいじゃないか――だから後藤さんはよく、「あなたも、道に迷ってくださいね」と言っていたように思います。たとえば、先日、アーリバード・ブックスから電子書籍として刊行されたばかりの『パンのみに非ず』は、カフカの『断食芸人』をベースにした作品で、断食道場で合宿している人を見張る人が主人公ですが、その人が思い出したり話したりしていることと、断食道場に取材に来ている週刊誌の記者が言っていることが、ふと重なり混ざってしまうシーンがある。その傾向は、一昨年の夏に刊行された後藤明生の未完の長編小説『この人を見よ』でもあって、自分の記憶と他者の記憶、現在の話と別の場所の話が重なり合っていく。そのような部分は、阿部さんも影響を受けましたか?

阿部:それは大いにあり得ますし、影響を受けたのは僕だけじゃないと思います。この現在と過去の語り手が重なっている状態というのは、現在と過去の自分自身が重なっているだけではなく、たとえば『挟み撃ち』だと、小説の語り手と引用されているゴーゴリの『外套』の主人公も重なっている。僕は『挟み撃ち』の中に出てくる『外套』の登場人物の描き方を見ていると、後藤明生は「キャラクター小説」の萌芽になるようなことを−−もちろん本人は意識していないと思いますが−−、どうもそれに近いことを実践していたのではないかと思えたんです。

市川:キャラクター小説というのは、たとえば東浩紀が言うところの?

阿部:そうです。それについて東浩紀は、「登場人物が『キャラクター』になるとは、その存在が原作を離れ、メディアミックスや二次創作の空間のなかで、もともとの物語で与えられた生とは矛盾するさまざまな生(たとえばホームズは女だったなど)を生き始めることだと定義したいのです」と近著に書いていますね。

市川:『セカイからもっと近くに−−現実から切り離された文学の諸問題』ですね。

阿部:東浩紀のキャラクター小説論については、僕もいろいろと言いたいことがないわけではありませんが、それはそうと、『挟み撃ち』における『外套』の主人公の登場の仕方とか、後藤さんが考えられていたインターテクスチュアリティの問題などをあわせて考えてみると、そこからキャラクター小説的な可能性も読み解けるのではないか、と。

市川:なるほど。東さんが言うキャラクター小説は、「本来あった文脈からキャラクターが切り離されて、別の場所で生きていく」ということだと思うのですが、これは彼が柄谷さんの弟子だったことを強く印象づけられる部分でもありますね。インターテクスチュアリティとは、言わば作品間の「交通」や「移動」ですが、それらこそは柄谷さんが読み解こうとする社会の構図でもある。阿部さんが言われていたように、そこには後藤明生的なものを見いだすこともできると思います。そこにもう1本の補助線を引くならば、後藤さんがしばしば言及されていたこと−−後藤明生・電子書籍コレクションの「刊行に寄せて」で松崎元子さんも書かれていますが−−、「読むこと」と「書くこと」の表と裏とが結びつきも、そうした行為のひとつだとも言えるように思います。たんに「読書」と「創作」という意味ではなく、「あるテクストを媒介としたときに、読む行為と書く行為は、テクストから等距離にあるのだ」と後藤さんはしばしば言っていた。その表と裏が結びついている感じというのは、インターテクスチュアリティの意識に加えて、たったいま動いていた登場人物、つまり、「見られる者」として存在していた登場人物が、くるっと逆転して「見る者」にもなる、あるいは、「見る者」としてあったはずの「読者=私たち」が、同時に「見られる者」として存在する、という両義性のようにも感じます。

阿部:いまの市川さんの話を聞いて、僕も言いたかったことを思い出してきました。つまりキャラクターとは、「読まれること」によって存在感が出てくるわけです。そして後藤さんは、まさに「読むこと」と「書くこと」を結びつけて創作を続けてこられた。だから必然的に、そこにはキャラクター小説問題が浮上してくる。東史観ではキャラクター小説は「おたく系のラノベ特有の現象」ということになるのかもしれませんが、でもたとえば『ドン・キホーテ』なんかは、当時流行していた騎士道小説の二次創作という体で書かれたキャラクター小説なんですね。またその意味で、後藤明生の『挟み撃ち』はゴーゴリの二次創作であり、キャラクター小説としても読めるわけですが、結局、「書く」にはまず「読む」しかないというのが今日の文学の歴史的条件であり唯一のリアリティーなのだとすれば、後藤さんの小説こそ正統なのだとも言える。いずれにせよ、もはや、登場人物が何かを告白していれば小説として成り立つという時代は、とっくに終わっているということは、誰もが認識していることだと思います。

市川:誰もが認識してればいいなあ、とぼくもよく思います(笑)。

阿部:冒頭でもお話ししましたが、作中における物語上のリアリティだけで成り立つような作品ではなく、いわゆる作品の外の部分、その作品を成立させている条件みたいなものも明示してしまうような状況の中で生まれているのが、今日的な文学作品ではないかと僕は考えているわけです。というのも、もはやそうならざるを得ない情報化社会という環境の中で、文学作品は創作されているわけです。

市川:非常によくわかります。今回、後藤明生の話をするにあたって、阿部さんのどの作品を併せ読めばいいかと考えたとき、たとえば『Deluxe Edition』で阿部さんが書こうとした物語の状況というのは、いま話していたことと結びつくわけです。つまり、「監視している者」が「監視されている者」になるのだという対称性というのは、キャラクターたちが「読まれる者」であると同時に「書かれる者」になっていく関係とか、私たち自身の身体性が「見る者」であったはずが「見られる者」になっていくとか、21世紀の私たちが置かれている状況と同じものを、いま後藤明生の作品にも見出してしまう、そういう感じがします。

阿部:後藤さんの作品というのは、監視カメラがない中での監視状況というものを描いていたとも思いますし、これは一読すればすぐにわかることですが、インターネットがない中で、果てしのないリンクをたどっていくような小説でもある。そういうところから、これから新たに後藤さんの作品に触れる人たちには、その魅力や小説の可能性を掘り起こしていってほしいなと思います。

■ハリウッド映画の活劇のような「とつぜん」

市川:阿部さんが『アメリカの夜』でデビューされたのがちょうど20年前。そして、『挟み撃ち』の主人公は20年前に着ていた外套のことを思い出す。20年くらいの時間がたつと、記憶とそうではないものとか、私たちの認識そのものが変わってしまうことがある。私たちが1994年に後藤明生の作品を読んでいたときには、そうは見えなかったものが、2014年に読むと違うもの、阿部さんがおっしゃったように、インターネットなき時代のハイパーリンクに見えてくる。これは後藤さんの中にあらかじめその可能性があったのか、いま私たちが読むとそれを発見せずにはいられないように、社会や私たちが変わってしまったのか? それが再読の必要性の有無を決めることではないと思いますが、私はいま、昔の作品を読むときにビクビクするんです。つまり、いま読むと、すべてのものが違う意味に読めてしまうのではないか……。

阿部:でも、その話をすると、『ドン・キホーテ』的に「すべての条件は出そろっていたのである」とも言えちゃうわけで、実際に後藤さんの作品をいま読むと、そうとしか読めない。

市川:となると、私たちが手にするテクノロジーやシステムが変わっているだけで、人間の本質は『ドン・キホーテ』の時代から変わっていないのかもしれない、と?

阿部:僕はそう思っていますけどね。

市川:後藤明生が70年代に書かれていた『笑い地獄』とかを読むと、ある種、阿部和重の匂いがしますよね。

阿部:それは単純に僕が影響を受けているからです(笑)。

市川:いやいや。『笑い地獄』という作品は、ぼくが長年かかわってもいる「早稲田文学」が初出だったので何度も読んでいるんですが、あるスワッピングパーティーみたいなものに潜り込んだゴーストライターが主人公です。彼は、その猥褻なパーティーの取材をして記事を書くはずが、ハイミナールという薬を飲んだことで眠り込んでしまう。取材をする、観察をするはずだった出来事が見られなかったことで、のちにパーティーの出席者を訪ねて、実際に自分が見ていたかのように書くことになるわけです。この作品を読むと、阿部さんの『Deluxe Edition』の雰囲気と近いものを感じます。猥雑なもの、暴力的なものの中に突如、紛れ込み直面しながらも、それが記憶なのか妄想なのかすら、読んでいる者にもわからなくなっていく。

阿部:それも後藤さんの影響ですよ。これも蓮實さんが論じられていたことですが、後藤さんの小説には「とつぜん」という言葉がものすごくたくさん出てくるんですね。この「とつぜん」のリズムというか、「とつぜん」によって起こるさまざまなことは、ハリウッド映画の活劇に近いものがありますね。そういう後藤さんの「突然性」みたいなものを受け継いでいるところはあるんじゃないかな、と思います。

■現実の記号によって想像力を封じ込める

阿部:また話がずれますが、僕の『グランド・フィナーレ』という小説の中で、主人公が〈ジンジャー・マン〉っていう喋るぬいぐるみと会話をするんですが、それは『首塚の上のアドバルーン』に出てくるピラミッド型の時計を意識したんですよ(笑)。

市川:なんと。あの、音声で時間を告げる時計ですよね。それはまったくわからなかった……!

阿部:あれがやりたかったけど、なかなかうまくいかなかった(笑)。外部の声をどうやって作中に登場させるかということを僕なりに考えるところがあって、いまだに考えているんですが、あの『首塚』のピラミッド型の時計というのは、素晴らしい小道具なんですね。

市川:ボタンを押すと「○時○分」と喋る三角形の時計ですが、『首塚の上のアドバルーン』を読んでいても、あの時計がなぜ出てきたのか、いまいちよくわからないところがある。

阿部:あれがなぜ、そんなにも重要かというと、先ほども話しましたが、現実の記号や史実など−−僕も日付をよく記しますが−−、それを作中に導入することによって、何が生じるのか? 幻想や妄想は、ほっておくとどこまでも広がっていってしまうわけです。逆に言えば、幻想や妄想を広げることは実はたやすいことで、それを作品としてまとめるためには、論理の中に封じ込めていかなくてはならない。後藤さんは自由に広がっていくばかりの自分のイメージを、むしろ封じ込めるという作業をずっとやり続けることによって、物語を組み立てていったと僕は思っています。自由に広がっていくばかりの想像力を封じるための装置が、現実の日付だったり地名だったり、それが『首塚』だったら時計が「○時○分」と喋る時間だったりするんじゃないか、と。時間を1回、作中に出したら、それを守らなくてはいけなくなるんですね。昼の12時だったら外は明るいわけで、その状況も書かなくてはいけなくなる。創作は、そういう記号を出せば出すほど、守らなくてはいけない約束事が増え、難しくなる。そうなると当然、作者の想像力は縛られることになる。記号や先行するテクストの一節を出していくことは、想像力の幅を狭めることになる。そのような創作のより困難な道筋を示していったのが、後藤明生ではないかと思うんです。

市川:なるほど、聞き入ってしまいました。いまのお話を伺っても、阿部和重の思考の組み立て方がやはり非常に創作者的だなと思いました。というのは、阿部さんおっしゃる想像力は、ほっておいたら堀を超え、護岸を超え、どこまでも広がっていくものだという前提ですよね。それに対して、川の流れを無理やりつくるように、アンカーとして置いていくのが時刻であったり、現実の地名であったりする、と。

阿部:たとえば、小説を「ある日」という言葉から始めるのと、「1月1日」という言葉から始めるのとでは、ぜんぜん違いますよね? 「ある日」だったら、どこで何が起きても構わない。なんの説明もなく、何をやってもいい。しかし「1月1日」だったら、そこで起きていることが多くの人に共有されるので、守らなくてはいけないことがいっぱいある。もちろん「1月1日」という制約を守らなくてもいいんだけれど、そのためには物語を組み立てていくための工夫が必要になる。いずれにしても、作者にとっては考えなきゃいけないことがたくさん増える。しかし、「1月1日」は多くの人に共有されていることだから、小説の中でやれることは少なくなってしまう。いわゆる「オリジナリティ」や「個性」が出しにくいはずなんです。

市川:だから、その制約を積み上げていって、その制約の先に出てくるのが、「オリジナリティ」であるはずだっていう考え方ですか?

阿部:そういった数々の困難を経て、結論にたどり着こうとする思考の軌跡を描いたのが、後藤明生の小説だと僕は思っているんです。

市川:こんなふうに後藤明生をめぐる話をしてきたわけですが、それにしても、彼が新人賞で強く推して選んだ小説家と、彼に教わって批評を書き、メディアをつくるようになった教え子が、こんな議論をするさまを後藤さんが目の前で見たら、どう思うだろう、そんなことを考えてしまいます。後藤さんも話し始めたら止まらない人でしたから、たぶん夜通しつきあってくれたんじゃないだろうか、と。後藤明生をめぐる連続トークショーの第1回、阿部和重さんにご登場いただきました。本日はどうもありがとうございました。

構成:ツカダマスヒロ
posted by アーリーバード・ブックス at 18:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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